のほほん六浪日記

すべてがかなしい

信じられない頃に

髪を切りに行こうと鞄も持たずに駅のホームに行き、暑さしのぎに自販機で飲み物を買う。何か数字が光りだし、自販機のルーレットが当たりを示す。もう1本貰えるらしい。何十秒か何もボタンを押さなければ表示は消えるのかもしれないが、不確かなので元の状態に戻すために、同じ飲み物のボタンを押す。素手に飲み物2本だけを持った変な人が発生してしまった。幸か不幸か、自分のそんな風貌の恥ずかしさから身体が熱くなり、目的地までの途中で1本を消費できた。

出先でちょっと飲み物を買う時に2本一気に貰って喜ぶ人っているのか?と思ったが、まぁ家族連れやら、とにかく他に人がいればありがたいことなのだろう。

 

自分が中学生の頃から10年ほど追っていた元子役が、少し前からTwitterを始めた。流石に驚いてフォローして、昔を思い出しながら投稿された写真や動画を見ていた。CMをPSPに入れてずっと眺めていた中3の頃。出演したドラマをワンセグで録画し、枚数を制限されたキャプチャ機能で彼女が映るシーンを慎重に切り取った高1の頃。りぼんを買ってりぼんガールオーディションで彼女に投票した高1の頃。主演映画が放映され、前売り券を5枚ほど買い、更にサイン会や試写会、水戸、国府津の舞台挨拶にまで足を運んだ四浪の頃。他に好きな女優なんていなかったが、確かに彼女の活動を追うのが好きだった。

彼女の新しい主演映画が今月末から放映される。Twitterで宣伝してくれているし、上映館の都合も良いので行かない理由はないだろうと前売り券を2枚買った。初日に行くつもりである。一緒に水戸まで行った友人も誘った。楽しみだ。

 

あれほど好きだと思っていた人の活躍が久しぶりに見られるのに、「楽しみ」という感情のみなのだ。昔から、自分で積極的に足を運んで人の活動を追うのが長くは続かなかった。そうしたいというより、そうした方がオタクとしての自分らしいと思って惰性でそれを行って、そしていつか途絶えることが殆どだった。人を追いながら、どこか冷めた目で自分のその行動を見ていた。それでも5年くらい前までは、人ではないがピーエーワークス作品を10年以上それなりに追っていたし、オタクとしてとりあえずイベントに行くことは少なくなかった。

辛うじて存在していたそうした人や物事への熱意は、しかし今では殆ど失われてしまったように思える。ト-ダ亻で地学を学びたくて、11浪してやっと合格できた。文系で入学したのに今学期は理系科目を文系科目よりも多くとっているし、確かに地学や物理、数学の授業や勉強が楽しいと感じる。それでも多分、ちゃんとト-ダ亻に入るような優秀な人たちの学問への熱意なんかに比べたら、自分の知的好奇心なんて取るに足らないようなものなのだろう。もしかしたらここでも、地学を勉強する方が自分らしいと思っているだけなのかもしれない。

「ハチャメチャに誰かや何かを好きになってみたい」と、一瞬弱くそう思って、自分くらいの年齢の人たちはみな、既にこれまでの人生で熱情を注いだ誰かや何かとの安定した関係を保っていく段階に入っているのだろうなと気づいて、かなしくなった。