のほほん六浪日記

すべてがかなしい

小型犬の心臓病と肺水腫について

昨年末に12年半付き添った愛犬を亡くした。死因は肺水腫で、2回目だった。今朝一周忌の法要へ行ってきたが、未だ気持ちの整理もつかずに後悔ばかりの日々を送っている。

他の飼い主さんへ私達の闘病生活を共有し、これらの病気について少しでも知ってもらえればと思う。

 

・薬の飲み始め

9歳頃の定期検診で心臓が肥大していることを告げられて、症状を遅らせる為の薬を飲み始めた。ずっとかかりつけとして通っていた近所では大きめの病院だったが、薬を貰いに行くたびに種類や量が変わり、それについての説明も不十分なことへ不信感を覚え、個人の先生がきちんと診てくださるより小さい病院へ転院した。この頃レンタル酸素ハウスも勧められ使用を開始した。

 

・心臓の手術

11歳を過ぎた頃に僧帽弁閉鎖不全の手術を考え始め、二次診療としてJASMINEどうぶつ循環器病センターへ相談に行った。

初回検診から3ヶ月ほどで手術をしていただいた。その間は色々と検査をして今の症状や、一度心臓を止めて行うリスクのある手術に耐えられるのかなどを診ていただいて、血液検査の数値などを交えて詳しく説明もしていただいた。

主治医の先生は基本的に同じ先生がいらっしゃる時に次回予約をとる形式で、他の子の急な手術などで手が離せない場合は、他の先生に診ていただくこともあったが、ずっと同じ先生が診てくださること、先生やスタッフ方の間の連携がきちんと取れていることなどから、とても安心だった。

心臓内の血液の逆流の度合いで症状の段階が分けられていて、うちの子はJASMINEで手術を行ってきた他の子の平均よりも良い状態だった為、この手術が成功すればまた元気になってくれるだろうと希望を持てたが、やはり手術そのもののリスクについては不安で、術前に大泣きしてしまった。(JASMINEの上地院長の本には、わんちゃんが飼い主の不安を読み取ってしまうのでなるべく笑顔で見送るようにと書かれていたのだが……)手術室は全面ガラス張りで術中の様子は家族も少し離れて見守ることができた。

無事に手術が成功して、その後は入院。期間は大体2週間ほどらしいのだが、うちの子は内出血が引くのが時間がかかり、3週間ほど入院をした。入院中のお見舞いでは、個別に面会できる部屋があり、そこでタオルなどを敷いてソファや床で一緒に寝る家族もいるようだった。

 

・退院後

手術、入院費は合わせて200万円ほどかかった。うちの子は入院が長引いたので、他の子は恐らくもう少し安く済むだろうと思います。

退院後一ヶ月は手術の後遺症などが最も危なく油断できない期間で絶対安静ということで、私は検診以外どこへも行かずずっと一緒にベッドや酸素ハウスで寝かせながら過ごした。この手術前後で私が甘やかせ過ぎたのか、向こうもすっかり赤ちゃん返りしてしまって、とても幸せだった。

f:id:nanamikotone:20191225000720j:plain

一ヶ月が過ぎた後も、うちの子は薬の服用が全くなくなるというわけではなかったので、かかりつけの病院に加えてJASMINEへも定期的に検診と薬を貰いに通った。

 

・気管虚脱

僧帽弁閉鎖不全の手術のおかげで心臓の大きさは術前より小さくなったが、術後半年ほど経った春先に長く続く咳が出始めた。うんちをして力んだ時や階段やベッド(私のベッドで一緒に寝ていた)から降りる時、興奮してはしゃいだ時などに多かった。

元々気管があまり太くなく、また体重も少し太り気味で気管を圧迫していた為だろう(ポメラニアン♀で3.6kgくらい)。

気管拡張の手術をしている有名な病院にも連れて行って診てもらったが、一度大きな手術を経ていてリスクも大きかったし、体重の管理(徐々に3.2kgまで落とした)とJASMINEから処方されていた咳止めの服用で対処することにした。食事はサイエンスダイエットの腎臓心臓サポートのものにし、先生に了解を得たうえでアンチノールも飲ませ始めた。

 

・一回目の肺水腫

その後も定期的に検診に通い、自宅でも心拍数や呼吸数を計るなどして、咳は出るが比較的安定して過ごしていた。ただ、手術した僧帽弁自体が老化による劣化で再び締まりが悪くなり、心臓がまた大きくなり始めてしまっていた。

昨年の10月頃、12歳過ぎで一回目の肺水腫になった。

うちの子は食べることが大好きで、「普通の子はご飯をちゃんと食べていたら安心と考えてもいいが、この子は食べなかったら危険と考えてくれ」と言われていたのだが、苦しそうでおやつの野菜も食べなかった為、夜間緊急診療をしているTRVA動物医療センターへ連絡をし、連れて行った。 

肺水腫だと告げられ、水の溜まり具合など症状を教えていただいて、入院することになった。両親は仕事だったので共に家に帰り、私は翌朝病院へ状態を聞きに行き、その日はすぐ駆けつけられるようにと病院の近所の漫画喫茶店で夜まで過ごし、また状態を聞きに行ってから帰宅した。24時間体制で診てくださったし、ここもまた病状の説明を詳しく教えていただいたので、勿論不安は多分にあったが安心して預けることが出来た。

一週間ほどを同様に繰り返し症状が良くなったので退院の許可が出た。お見舞いのときは私達が直接ご飯をあげることも出来て、入院中のデータなどもJASMINEと共有していただいたりと、とても信頼できる素晴らしい病院だった。

 

・二回目の肺水腫

一度肺水腫を経たので、2週間に一度ほどかかりつけの病院で血液検査をし、肺水腫が疑われる項目の数値に異常がないか確認して過ごしていた。

12月末、朝から咳の調子が悪く、咳止めのシロップを飲ませながら様子見をしていたのだが、夜になると明らかに苦しそうだった。かかりつけは翌日やってないので、朝になったらJASMINEに連れて行こうと思って酸素ハウスで寝かしつけていた。

深夜3時頃に目覚めてやはり苦しそうに咳を続けているので、これは朝まで待てないと思い、病院に連れて行くことにした。時間も時間だったのでタクシーがつかまるかも分からず、藁にもすがる思いで上述した不信感を覚えて転院した病院へ深夜緊急対応をしてもらえるか確認して連れて行った。

果たして肺水腫ということで入院することになった。翌朝状態を聞きに行ったがあまり改善されていなく、ご飯も残してしまっていた。面会をしたら立ち上がって喜んでくれたが、安静にして早く良くなってほしいと考えて少し顔を合わせて帰宅した。

夜の20時頃、病院から電話があり、19時頃に倒れているのが見つかったと言われ急いで向かったが、また目を覚ましてくれることはなかった。

 

・伝えたいこと

この私の経験を通して伝えたいことは、肺水腫という病気は絶対に油断してはいけないこと、また、きちんと信頼のできる病院を探しておくこと。

私は10日ほど前の血液検査で何も異常がなかったし寝ている間は咳も全くしなかったから大丈夫だろうと油断をしてしまった。もっと早くに危険を察知して緊急病院に連れて行くべきだった。以前連れて行った夜間緊急病院ではなく、一度駄目だと見限った病院に連れて行ってしまったし、結果として連絡も倒れてから1時間過ぎて、家族皆が気付けるようにと頼んでおいた家電ではなく携帯電話にかかってきていた。面会の時に頑張ってねともっと話しかけてなでなでしてあげていたら元気が出てご飯も食べて良い方向に向かったかもしれない。

 

いくつもいくつもそんな後悔をし続けて今も過ごしている。

「残すものには笑ってあげて」とは私の好きな小説の台詞だ。うちの子はいつも笑顔が絶えない子で、本当にいつも笑ってくれていて、最後の面会でも私達に笑いかけてくれていた。最後に笑った顔を見せてくれたのは本当に幸せだった。

でもその笑顔がかえって辛いこともある。とても苦しい病気なのに、少し顔を見ただけで笑ってくれる。そんなにも私達を好きでいてくれた子を、私達の選択の誤りで失ってしまった。

 

どうか皆さんが後悔しないような選択をして、より長い間大切な家族と共に幸せに過ごせればと思います。

私の感情を挟んだ分かりにくい文章になってしまい申し訳ないです。通院ごとのデータやメモ、先生との会話の録音などがあったが、それらを再確認するメンタルは今の私にはなく、記憶だけをたどって今回の記事を書いたので、これらの病気について正しく知りたい方は、JASMINEの上地正実院長が出されている『愛犬が「僧帽弁閉鎖不全症」と診断されたら読む本』を是非読んでみてください。 

 

 

12年半の間、本当にありがとう。私の無意味に過ごしていたこの数年間も、あなたのそばに居られたと考えれば十分過ぎるほどのものだった。ずっと大好きだよ

f:id:nanamikotone:20191225000336j:plainf:id:nanamikotone:20191225002241j:plainf:id:nanamikotone:20191225001823j:plain

f:id:nanamikotone:20191225000944j:plain