のほほん六浪日記

すべてがかなしい

過ぎゆく夏

昨年、人生で初めて恒常的にコンタクトを着けて夏を過ごした。コンタクトを着けていると、裸眼では殆ど見えていなかった人生の周辺にある物事が見えてくる

 

それまでの私の夏のイメージと言えば、青い空に白い雲、ひまわり畑と麦わら帽子や色々な生命の盛りと言った様な、いかにもステレオタイプな田舎のイメージしかなかった。都会の風景なんて、人や物にぶつからずに移動できる程度で把握すれば十分であったし、裸眼ではその程度しか認識できなかったからだ

しかし、昨年見た夏は違っていた。目につく昆虫の殆どは集合住宅の階段や通路で死んでいたし、道路では雨の後に出てきたのかカエルらしきものが干からびて潰れていたのも印象深かった。恐らく視線が低かったのも原因だろうが、私にとっての初めての夏は、身近に生物の死骸が転がっていて、心地良いものではなかった。もう10年以上前になるが、高校生の頃に塾で扱った文章で、「物事は醜いところが見えないように決して近付かず、遠くから見た方が良い」という主張のものがあったのを思い出した



お昼寝をしていたら急な鬱が襲ってきた

私は学問をしたいと願っているつもりだし、学問を理解する能力もそれ程低くはないだろうに、進んでそれをしようという気力が思う様には湧かない。ナオンツブヤァカァ特有の「今日も生きているだけで偉い」旨の自己の人生に対する肯定感はどうしたら得られるのだろう。日々を無駄に過ごしては、偶に自分の生の無意味さを確認するという行動を繰り返し、自らそれを終わらせることもできずに、時だけが確かに進んでいく。事象を正しく捉えるための学問は、これからの私の生に良い意味を与えてくれるだろうか